なんと贅沢な時間だったのだろうかと、改めて思う。
初音ミクシンフォニー2020大阪公演を終えて、このコンサートに参加できたことがどれほど幸運なことであったかを思い知った。なんと贅沢な時間を過ごしたことであるか。以下、思ったところをつらつら記す。
開催までの長い道のり
フェスティバルホールの自席にたどり着くまでの道中、いろんなことがあった。
数日前から大阪でコロナ感染者が増え、営業自粛の動きが加速した。全国的にも感染者増加の傾向があり、イベントなどのコンサート開催の是非もTwitterなどのSNS上で議論された。『果たして自分は人の集まる大規模イベントに参加していいものだろうか?』。葛藤した人は少なくないだろう。
結果的に、イベント直前で参加しないと決めた人を何人も見かけた。仕方のないことだ、というより、少し立場が違えば自分も参加できなくなっていたかもしれない。決して人ごとではなかった。
そもそも今回はイベント自体が中止になるのではないかという噂もあった。結果的に中止にはならなかったが、世間の情勢を見るとそういう考えが出てくるのも自然かもしれない。
中止こそならなかったものの不安は続く。お客さんの入りはどうなるのか。イベント直前のキャンセルも出てくるはずだ。人の少ない寂しい公演になってしまうのか。まさか、来年以降の開催が危ぶまれることはあるまいな。
次々に出てくる不安要素。イベント開始前にこれほど振り回されたのは初めてだ。精神的な疲れを感じるほどだった。
去年までとは違う世界
コロナ禍という以前とは異なる世界。それは同日昼に開催されたマジカルミライでも強く感じられた。明らかに例年より参加者が少ない。初日は金曜日で平日とは言え、去年までは朝一番でもたくさんの人でごった返していた。しかし今日は比べ物にならないほど少なかった。
企画展の中身も去年に比べかなり縮小されていた(例えば壁への推しキャラへのメッセージ記入企画や、企画展クエスト企画なども実施されなかった)。初音ミクシンフォニーでも、ホワイエでのドリンク提供が無くなっていたりした。
今年は去年までとは違うのだということを思い知らされた。
徹底した感染防止のため、待機列では間隔をあける。お客同士も距離も保つ。配布や交換行為の禁止。また禁止こそされていないものの、大人数のオフ会がいくつも無くなった。人との交流が醍醐味の1つであるはずのイベントで、人と接する機会が減らされるなんて。
コンサートに参加できるという幸運
そのような中で開催されるコンサートだ。ここに来るまでいろんな疲れや不安があったが、最初の演奏曲『舞台』の最初の音がした瞬間、全て吹き飛んでしまった。そのくらい感動させられた。心が洗われた。
ここにいる意味を理解したからだ。
この世間の大変な情勢下で、コンサートが無事に開催された。そして今、目の前で上質な音楽が演奏されている。
もしかしたらコンサートが無かったかもしれない。もしかしたら自分は参加できなかったかもしれない。
舞台の上の演奏者も、徹底した感染対策のために練習に制限があったはずだ。こうして無事に開催されたことは楽団や運営の尽力があればこそであろう。
来たくても来られなかった人がいる一方で、いろんな人の尽力や幸運に恵まれて、自分はここに座ってコンサートを聴いている。それだけでなんと贅沢なことだろうか。
ちょっと安心して椅子に深く腰をかける。両ひじをついて気付く。そうだ、密にならないよう参加者を例年の半分以下に制限しているから、両隣の席は空いている。例年であれば会場は満席で、両隣に人がおり、こうしてひじをつくこともできないのだ。寂しさを感じつつも、余裕のあるスペースに両ひじをついてゆったりと演奏を聴くこともできるなんて。これも1つの贅沢として味わおう。
コンサートに参加できて、ここに来られて本当に良かったと思ったが、参加したかったのにできなかった人も大勢いる。せめて参加したくともできなかった彼らの分まで、たまたま参加できた側として存分に味わうことが、彼らに報いることになるのではないか。それが次の年へと繋がるのではないか。
そんなことを思いながら、目の前で演奏される名曲の数々を、噛みしめるように聴き入った。
終わりに
いろんな条件が絡まり開催された公演。これほど贅沢さを感じた公演は無かったが、今年だけで十分。来年は参加したい人みんなが参加できる世の中になっていることを願いたい。
開催の是非を問われるのはこれからという厳しさはあるが、さしあたり、開催本当にありがとうございましたと、運営に感謝を申し上げたい。
セトリに関しても本当に良かったと思うし、そういう声を多く聞いた。また別でまとめられたらと思う。
筆者:やまもり→ Twitter